ここは大事に、ていねいにいこう。
生き延びるため、多少の方便もやむなし。
ここは大事に、ていねいにいこう。
自分の「命」を優先してみよう。
ここは大事に、ていねいにいこう。
俺の一大事だ。
人生の転機だ。
小さなプライドのために、無理をして、この機会を台無しにしてたまるか。
このチャンスを最大限に生かすんだ。
卑怯者と言われようとなんと言われようと、ここが俺の人生の勝負どころだ。
野球では2番でセカンド、サッカーではゴールキーパー、バンドではドラム。
元々みんなで取り合いにならないような、目立たない縁の下の力もち的なポジションが好きだった。
それがいつの頃からか、
・仕事で大成功したい
・人の上に立ちたい
・中心にいたい
・人より優れていたい
と、前へ前へ前へと、上へ上へ上へと、狂ったように進もうとするようになった。
もともと穏やかに暮らしたいと思っていた俺。
しかし、行動はその真逆に、人より前へ前へ前へ、上へ上へ上へと、狂ったように突き進もうとしてばかりだった。
そしてトラブルに散々見舞われ、見舞われればうちひしがれ、ボロボロになっていった。
今回やっとその「狂った脅迫」を溶かすだけの怖さを味わい、前へ前へ上へ上へではなく、穏やかな生き方、自分に合った生き方に大きく舵をきるきっかけをもらった。
「向上心」と「狂った脅迫」を見間違えるなよ。
今日、犬の散歩をしていたら、オシッコを家にかけたと怒られた。
こんな状態の自分に悪影響が出ないように焦った。
そして、今までどおり、前向きにとらえようとしたり、納得しようとしたりした。
この場所を、また平気な顔でとおれるようにしようと。
そこで自分の聞こえざる声を知った。
イヤな思いをした場所なら、そこを避けて通ればいいだけのことなのだ。
そして、怒られるのが人一倍苦手な俺は、人の家にオシッコをさせないように人一倍気をつければいいのだ。
たしかに、自分を強くしていくことも必要だろう。
でも、イヤな道を無理してまでとおる方法を探さなくてもいいだろう。
イヤだな、だから違う道を行こう、でいいのではないか。
そこは頑張りどころじゃないんじゃないか。
そんなささいなところにも、「逃げてはいけない」「だらしない」という聞こえざる声が存在していることを知った。
イヤなことを避けようとするとき、楽しいことをしようとするとき 「それは逃げだ」「甘えている」「だらしない」という聞こえざる声が、自分を左右している気がする。
元来、気に病む俺は、「自分を強くする努力」と「トラブルを減らすための用心」の両方をする。
そのバランスを取ることが大切なんだ。
その両方が大切なんだ。
逃げる練習もしよう 。
本当に土日つらかった。
気がふれるかと思った。
※筆者注
この日、ついにほぼ寝たきりの状態に突入する。
この日記は月曜日に書かれたもの。
前々日の土曜日に、寝返りをうつことすら怖いという「究極の恐怖状態」におちいる。
本当に気がふれるかと思った。
今でも記憶している。
本当に恐ろしかった。
その翌日の日曜日の夜にあるできごとがあり、奇跡的に底を蹴って、かろうじてわずかに起き上がることができるようになった。
その奇跡を活かし、今までの仕事を捨て、なんとか生き延びようと決心をしている。
とにかくこの日の心境はよく覚えている。
ものすごく恐ろしく、苦しくもあったが、同時に、はじめて自分が休むこと、逃げることを心から許すことができた解放感を感じていた。
そして、現在私の理論の中心となっている、「目の前の苦しみに対処しながら同時に人生をフルモデルチェンジする」という考え方の片鱗が、ついにこの日記のなかに登場している。
あと、この究極の不調のなかでも、犬の散歩だけはしていたことに今でも驚く。
どうしてそんなことができたのかはわからない。
ただ、やはり彼らの存在が「このまま死ねない」という支えになっていたことを痛感する。